江戸川 乱歩先生の傑作選より芋虫の感想を書きたいと思います。
※ネタバレしていますのでこれから読む方は気をつけて下さい。
感想
戦争で四肢と聴力と声などの五感を失い、視覚と触覚だけ失わなかった須永中尉を、妻時子が狂ったように愛する話です。
時子の持つ狂気と歪んだ愛情が濃密に絡み合い、須永中尉の傷付いた心を癒し、彼女の持つ狂気の愛は須永中尉を確実に自己肯定に導いていたと私は思います。
彼の動けなくなった体は時子によって介護されますが視覚と触覚が研ぎ澄まされている分情欲や食欲は人よりも旺盛。
時子はそんな須永中尉の心がわからずにただ孤独に彼に寄り添いますが、視線を合わせただけで彼は時子の精神状態を察していたのではないかと思うのです。
研ぎ澄まされた二つの感覚は人よりも鋭く、目は口ほどに物を言うということわざもありますので
ただ色々な感情は持ち合わせていたとは思います。
体は不自由でも考えることは彼にとって自由でした。
須永中尉は戦争時は民間人の期待を一心に受け、当時それを誇りに思うくらいプライドの高い人物だったと推察します。
それは四肢を失った後に金鵄勲章を度々見たがったり、武勲の書かれた自身の新聞記事を読みたがったりしたことから物語っています。
ですので、戦争後の四肢を失った現状は彼の自尊心や矜持といった誇りをずたずたに切り裂き耐え難き屈辱と感じたのではないでしょうか。
決して名誉の負傷と考える人物ではなくおよそ自身の過去の栄光にすがる軍人だったのでしょう。
そんな彼が唯一すがれる人が妻の時子だった。
時子は彼を精神的、肉体的に虐待し抜くことで人々からの「介護をされてえらいですね」という憐憫にも似た視線から逃れようとした。
時子は須永中尉とは対称的に人々からの賛辞や尊敬の目が苦手なのでしょう。
ここはとても面白い夫婦間の対比だと思います。
夜に時子が起こす性的な虐待の描写は乱歩先生の得意とする背徳感の中にもあるエロスを感じて読んでいる方はドキドキしますよね。
そんな猟奇的な時子を愛おしいと感じたり憎んだり、色々な解釈ができると思うのですが私は須永中尉はずっと、色々な顔を見せる時子を愛おしいと思っていた気がします。
だから目を潰されてしまい井戸に身を投げたのは時子に目を潰された絶望感よりも彼女を苦しみから解放してあげたい一心からではなかったかと思うのです。
目を潰してごめんなさいと許しを乞う時子に対し須永中尉は目を潰されたことを許したというより自分のためにもう苦しまないでいいんだよ、という意味の「ユルス」だったのではないでしょうか。
須永中尉の書いたユルスは私には愛してるという意味合いしか込められていない気がします。
命を懸けた究極のラブレターのように思えました。
もう一つの対比として時子の心情は雄弁に語られるのに対し須永中尉の心情は一切描かれず読者が想像するしかないというのも面白かったです。
読み手から見たら狂気にしか感じない愛も二人にしか入り込めない純真な愛、誰も邪魔できない二人しかわからない愛が確かにそこにあったと感じました。
究極の恋愛小説だと思います。
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