ヘルマン・ヘッセ先生の知と愛感想です。
※ネタバレしますので、まだ読んでいない方はご注意下さい。
ガラス玉演戯
ヘッセ先生がノーベル文学賞を取ったとき周辺に書いたガラス玉演戯ですが、なぜノーベル文学賞取ったのに絶版になったのかわからなくて少し調べてみたことがあるのですが、やっぱりわかりませんでした。
図書館や古本屋さんを探してみてもなかった記憶が、今は電子書籍でさらっと買えるようになったのが何だか感慨深いです。
と、思っていましたが、後日ふらっと立ち寄った出張古書屋さんで売っていたんですよ!
上下巻で2000円でしたので、すぐ買いました!
すっっっごいびっくりしました。
学生時代から探していてまあ今は電子書籍では読めるのですが紙媒体では絶版になっていて恐らくほぼ市場に出回っていないであろうガラス玉演戯が……
フラッと寄った古書店にサラッと売っているなんて!
ヘッセ先生がノーベル文学賞取った選考対象の本とは聞いていたので読みたいと思っていたのですがすでに絶版だし、古本屋巡りしてもどこにもないし、色々な図書館に問い合わせてもなかったので諦めていたのに……
でも私電子書籍より紙媒体派ですし……
みたいな感じでした笑
美術館観終わって帰るときだったので連れももう帰るモードになっていたのですがたまたま併設されていた古書店が見えたので少しだけ見たいと言って寄ったんですよ。
だから寄らないで帰っていた可能性もあったのですが、何か良い雰囲気の古書店だったのでつい寄りたくなった感じだったんですよね。
私あまり好きな言葉ではないのですが今回ばかりは導かれたとか、運命という言葉を信じてもいいのかなみたいに思いました。
めちゃくちゃ嬉しい〜!
大切に大切に読みます!
ありがとうございました!
次はバジーレ先生のペンタメローネ、どこかに売ってないかな笑
感想
さて、知と愛の感想です。
この知と愛、タイトル訳した人は素晴らしいと思います。
ヘッセ先生と言えば高橋 健二さんだから彼が訳したのでしょうか?
原書では『ナルチスとゴルトムント』となっていますが日本語訳では『知と愛』になります。
ナルチスを知、ゴルトムントを愛と比喩した訳で、彼らの性格を読む前からダイレクトに知らしめるという粋な訳し方をしています。
このお話は、ナルチスとゴルトムントの対照的な生きざまを描いた物語です。
ゴルトムントが実質の主人公なのですがタイトルの通り、彼は『愛』に生きる人生を辿ります。ゴルトムントは、自分の容姿の良さを自覚している少年。
修道院を抜け出して女性たちの愛を求めてジプシーになってしまいます。
対してナルチスは、修道院でも上の地位にいるし司祭様たちにも人望は厚いし容姿も美しいし人気はあるし変な行動は出来ないと自分を律し完全なる優等生に徹しています。
ゴルトムントはナルチスに認められるために自分も学問の道に進み神の道に進もうと考えます。
でもナルチスはゴルトムントと自分とは決して相容れない別の存在でありゴルトムントに学問の道は向いていないと否定します。 このときナルチスが彼を受け入れていればゴルトムントはジプシーにならなかった気もしますがナルチスの心情を考えると複雑だったのでしょうか。
二人の考えには多少のずれがありゴルトムントは友情、ナルチスは愛情が心の中を渦巻いていたわけでナルチスの方は心中穏やかではなかったのでしょう。
つまり自分の欲望が全身を支配してしまうナルチスは、ゴルトムントがそばにいたら職務を全うできないという焦りも鬩ぎ合っていたのではないかと思います。
だからゴルトムントを拒否したのかもしれません。
ゴルトムントからしたら理不尽なことですね。
この話は徹底して二人が対となって書かれていて、ナルチスの台詞でそれがわかるのがあります。
「君は母の胸に眠るが、ぼくは荒野にさめている。ぼくにとっては太陽が照るが、君にとっては月が照り、星が光る。君の夢は少女を夢みるが、ぼくの夢は少年を……」
というところです。
これ聞いて、ゴルトムントが驚いてしまいナルチスから距離を置くようになります。
ナルチスが傷付いたのは容易に想像できますが、もしかしたら上記の
「ゴルトムントがそばにいたら神に仕える自分のこの感情は神にとって相応しくない」
と考え自分の人生のためにこの話を敢えてしてゴルトムントを遠ざけた可能性もありますね。
ゴルトムントの心情は書かれますがナルチスの心情が書かれていないので想像でしかないのですが。
この部分は二人の相容れない徹底した対比なのですが、反するからこそ惹かれあうものがあったのかもしれませんね。
ヘッセ先生は少年同士の友情を書く作品が多いですが友情というにはもっと濃いというか絆を書く感じでしょうか。
でもヘッセ先生は女性好きで有名だったというので面白いですね。
読んだ限り、対比として出てくるのは『知、愛』『父性、母性』『理性、本能』『学問、芸術』『善、悪』『生、死』でしょうか。
その見えない対比の象徴をナルチスとゴルトムントで実体化しているように思います。
ジプシーになったゴルトムントは、ペストに蔓延した町や、ユダヤ人を惨殺するキリスト教徒などを目の当たりにしたり、旅の途中で愛のもつれなどから三人くらい人を殺します。
対照的にナルチスは、どんどん出世して神の使いの道を極めていきます。
人殺しの後、ある教会に懺悔をしにきたゴルトムントの司祭さまがたまたまナルチスで、この場面はとても感動しました。
絶望に暮れるゴルトムントを救うのが知性、理性に徹し神に人生を捧げたナルチスという感動的な場面でした。
ヘッセ先生の哲学がふんだんに散りばめられていますがこの本全体が『母なる大地』というブックカバーでコーティングされていた印象です。
ヘッセ先生は好き嫌い分かれる作家と言われていますが彼の文体は作家らしくなく、まるでワルツを奏でているようだと言われるのが一因にあるようです。
ですが読まないともったいないと思います。
哲学書、宗教書と敬遠せず日本人ならではの囚われない目線で読めるかなと思います。
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